せでぃのブログ

ブログ初心者おいどんのどうでもいい愚痴やどうでもいい愚痴やどうでもいいマメ知識などを披露するチラシの裏です。

「「きっと何者にもなれない」あなたへ」への僕なりの返答

訪問者が居たら面倒くさいので、リンクは貼らない。元記事はググれ。
久々に書きたいと思えるトピックを見つけたので、チラ裏。


僕は、いわゆるワープアです。何の取り柄もないし、誰の記憶にも残らないし、たぶん子孫も残さないだろう。同じく何者にもなれない人です。このトピックでは、「社会の歯車」という表現だけど、僕自身はそれではまだ物足りない。蟻社会の中で、「意味もなく右往左往して実質的に働いていない蟻」だと思っている。いや、それでもまだ足りないな。オナニーでゴミ箱に直行する一体の精子くらい全く何の役にも立たないちっぽけな存在だと思ってる。
勿論、標題について共感したから筆を取ってみたいと思ったのだけど、実は半分はそうでもない。「わたしが何者なのか?」という人生の命題のような哲学的な問いに対する能動的な追求というか回答について、実はほぼ諦めてる。日曜日の夕方から月曜日の早朝にかけては、飽きもせずに毎週悩んでいるけれどもw 自力での回答を諦めた代わりに、それらを全て奇跡と言う名の他力本願で叶えられたらいいなーと思っているというのが、正直な気持ちだと思う。そこで、斜め上の死を選ぶほど、芸術家でもないしねw


前述のように、僕の使命や天職(Mission?,Vocation?,Calling?)、生きる意味(MeaningofLife)と言った哲学的な問いについて、もう自力で何とかしようとは思わなくなった。天の邪鬼で無責任でぐーたらな僕の気質が、そういう才能(Talent?,Gift?)とか希少価値が必要とされるものとどうしても相容れないということがわかってきたからというのが1つと。35年に渡るローラー式の探索結果では何一つ成果が上がらなかったからというのがもう1つだ。
目立ちたいと楽したいを天秤にかけると、どうしても楽したいが勝ってしまう性分なのです。「ソフィの世界」なんて読み慣れないものを読んでも、何も悟らなかったし、何も閃かなかった。自堕落で無知蒙昧で体力も根性もない35歳がこれから何かに目覚めるには、奇跡しかないと思っても仕方ないと思わないか? え? 悟るにはまだ早い? んなこたぁない!


結論として、僕は奇跡待ちだ。最近は人工精霊なり父なる聖霊なり二次元の(巨乳の)美少女なりあたりが表れて、僕を悟りの境地か永遠の眠りか極楽浄土に導いてはくれないもんかと夢想する毎日だ。
このライフワークになり得る問いに対して、明確な回答が出せない人は、たぶん幸せとは程遠い心細い境地に居るんじゃないだろうか。幸せとは何と遠い地平にあるのだろう。そして、幸せってのは、何と罪深い概念なんだろう。
以上、駄文失礼。


また生活という名の無味乾燥なルーチンワークに逃げ込むことにしましょうか。