せでぃのブログ

ブログ初心者おいどんのどうでもいい愚痴やどうでもいい愚痴やどうでもいいマメ知識などを披露するチラシの裏です。

My own L7 layer device, Fly!

僕が仕事・職場を逃げた経緯

 

派遣ですが、客先での提案、ベンダー決定、基本設計、法務関係の確認、見積もり作成、スケジュール管理、詳細設計補助、構築補助、構築立合い、障害対応等々、幅広い仕事をしてました。営業さんと事務さんとお客さんとベンダーさんと相互に遣り取りする潤滑油でありつつ、IT系の会社なので案件の成否を握っているポジションです。独身の30代後半です。

 

商社のような仕事をイメージするといいかもしれません。基本的に自社で作っているものはほとんどなく、他社ベンダーからものを買って、費用を上乗せして、機器と現状に合わせてオプティマイズ・ローカライズして納品というのが基本でした。

 

4月、僕のエンジニアチームの超お得意様を受け持つ超エース級のイケメンAさんが転勤で居なくなりました。憧れてもいたので、悲しかったです。僕はと言えば、同じチームではありましたが、新人同然でしたので小さい案件を幾つか受け持つ独立愚連隊みたいなところにいました。データ、音声、映像を乗せる全く異なる体系のルータを扱う特殊な案件が多かったかな。1案件受注で大体20万USドルの売り上げ。このとき、この異動が僕に影響するとは全くもって考えていませんでした。

 

4月はやっと仕事を覚えだして、徐々に受け持つ仕事が広がりだした矢先といったところで仕事自体は事務的で結構楽しかったです。納品物にOSPFのルーティングパターンを書いたり、パケット解析してほかのメンバーの障害対応を手伝う余裕がありました。

ところが、ある日、リーダーから、Aさんの抜けた穴をおいどんが埋めるという配置転換の方針が出されました。いやいや、今までだってあの精鋭のメンツで残業バリバリだったのに…… そこにおいどんが代わりに入る??? やってみたいけど、この体制で大丈夫なの?

 

徐々にわかるのですが、僕の受け持ちは徐々に抜けていいよという話だったはずが、いつの間にか余裕あるんだから全部やれという話にすり替わって行きました。下っ端は仕事を引き受けることはあっても、他の方に振ったらダメみたいな雰囲気がありましたね。ね。ね!

 

 

 

後悔していること

  • かわいい子いたのに、声かけずじまいだったな。

振り返ってみれば、僕がこの1年で担当した僅かな案件全部、僕以外の要因で失敗してました。何とかかんとかリカバーしてましたが、全部で失敗ってのも凄いですよねwww お客さんに嘘つかれたり光の芯線がどうとか無線の相性がどうとか下請法がー建築基準法がー何てのもありました。

原因がどこにあれ、失敗続きだったってのが心に重くのしかかり、出張先で提案書作りながら電話で障害対応して、たまにデスクに戻れると1年先までスケジュールがガンガン埋まっていくってのが苦痛でしたね。話する暇があれば、設計か障害の相談になる。休む暇がなくて。

まぁ、みんなヒィヒィ言いながらも、元気でやってるんだろうなぁ。っちくしょー。

 

 

これが以上です。最後に、このエントリーは仕事から逃げたい、バックれたい方の参考になればと思って書きました。

へたれだから逃げたと言われればそれまでですが、壊れる基準、壊れる前の予防線の基準なんて人それぞれでしょ。以前は、身体壊れたらいいのにな、なーんてよく考えてましたが、逃亡を真剣に検討していろいろ調べてると、「自覚症状があってからでは手遅れだ」ってことがよく書いてありました。一度倒れたら死ぬまでずっと後遺症残るかもしれないんですよ? それでいいの? オレは嫌だね! ここが限界だ。ただ普通に生きのびたいんだよ。

周りとか親の目なんか気にするな! 逃げる基準は自分で考えろ! んでんで、決断したら、遠慮なく且つ躊躇なくバックレろ!

 Ready, Steady, Go!

 

2013.2.10:いくつかコメントアウト