せでぃのブログ

ブログ初心者おいどんのどうでもいい愚痴やどうでもいい愚痴やどうでもいいマメ知識などを披露するチラシの裏です。

カワサンとモリケンとゲームの話

小学校3年か4年の時にカワサンとモリケンは転校してきた。

 

おいどんは転校したことないのでわからなかったけど、転校生ってのは大変だよね。だって一番目立つもの。小学校なんてサッカーと成績と顔でしか比べて貰えないヒエラルキーがあったし。

カワサンはメガネで最初は頭よさげな感じだったんだけど、年がら年中、一発ギャグを考えている変わり者でネタ帳みたいなのをいつも持ち歩いていた。ただ、本人も飽きるみたいで特に固定のモチネタとかはなかったと思う。ネタ帳は名前があって、「ハッスル手帳」とかだったと思う。変わり者だけど、同級生の中では一番妹を大事にする優しい奴だった。

その年はもう一人転校生が居て、珍しく学期の途中から入ってきた。今思えば、何か家庭の事情があったんだろう。それがモリケン。モリケンは東京の方から来たとか言ってた気がする。髪はモジャモジャで色黒で面長で彫りの深い顔立ちで、リオパラダイスに出てきたカルロス田中みたいな風貌で、それはもう、転校初日から悪い意味で目立っていた。でも、ゲームを語り出すと止まらない熱い奴だった。転校初日からゲームの話で先生に怒られたのは後にも先にもモリケン一人しか知らない。あと、よく鼻水垂らしてた。

 

その頃のおいどんはというと、もうファミコンの虫だった。人ん家に行って、新しいソフトをやらせてもらい、人を呼んで自宅でもファミコンをやって両親にプレイ時間で怒られてた。恥ずかしい話、漏らしたこともある。友人の顔は大体ファミコンソフトと一緒に覚えているくらい、もうファミコン漬けだった。近所の鳥滝書店(もう潰れてる)には毎月、ファミマガを買いに行くのが習慣で、今でも「鳥滝書店はオレが育てた」くらいに思っている。

流行のサッカークラブにこの頃入ってはみたけど、半年くらいで飽きてやめた。クラブ内の軽いイジメみたいなのに合ってた気がす。元々サッカーは自身あったし、あのまま続けてたら、中田英寿より上手くなってたかもしれない(大嘘)

 

この二人の印象が強いのは、ファミコンを持っていないにも関わらず、ゲームに対する啓蒙をしてくれたからだ。友情とかじゃなくてすまんw

 

カワサンはPC98しか持ってなかったけど、信長の野望というソフトを持ってて、それが凄く面白くて、おいどんがMSX2を買った(てもらう)動機にもなった。信長の野望全国版はおいどんの家族全員ハマってた。あでも、ゲームがなくても常にハイテンションで一緒にいて楽しい奴だった。

モリケンの場合、ファミコンとか家庭用ハードもパソコンも一切ないんだけど、ナムコアーケードの情報誌を一杯持ってて、それはもう、地方都市では手に入らない東京ならではの情報を沢山教えてくれた。ついでに需要もないのに萌え文化も輸入してくれた。

ガルフォースの誰が好み談義をよくふっかけられた。スマン、おいどん的には女の子とかまだ早いし、絵的にもなんかダメだった。今見返すと、ダーティペアを劣化したみたいな絵なんだな。でも、ナムコの雑誌は凄く素敵で購買意欲をそそるデザインだったなぁ。ボスコニアンとかイシターの復活とか、既存のソフトのサイドストーリーとか、当時のファミマガだけでは絶対に手に入らない情報だった。

ただ、モリケンとは全然決定的に話が合わなかったな。いやもう、ディープでwww ジョークとか妄想とか全然入らない、本当にナムコその他の最新情報と二次元の女の子だけを語る地元のオタクの先駆け的存在だった。

 

 

小学校に入る前はガンダムに乗るのが夢だった。小学校1、2年くらいはキャプ翼の影響でサッカー選手になるのが夢だったけど、この頃はプログラマーか金持ちになってファミコンソフトを全部プレイするのが夢というくらいゲームにのめり込んでたと思う。

 

はい。ネタ切れの投稿でした。カワサン、モリケン、ありがとう。