せでぃのブログ

ブログ初心者おいどんのどうでもいい愚痴やどうでもいい愚痴やどうでもいいマメ知識などを披露するチラシの裏です。

部活動で会ったイケメンたちの存在証明

今週のお題「部活動」

 

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お題をスンナリ受け入れられないから毎度一捻り入れて書き始めるのがおいどんの悪いところだな。

 

さて、部活動と来たもんだ。んー学生時代は運動部をいろいろやってました。小中高大と一貫してないです。正直、部活動自体には辛いという思いしか残ってない。でも、部活動を通した他人とのやり取りを今でも覚えているし、大切に思っている。いいことだけじゃない。恥ずかしいこととか、情けないことも含めて全てって意味だ。今のうち言っておくと、僕は男だけどホモではありません。男女一緒の部活ってのをやったことがないからこういう表現をしてます。

 

おいどんはこの通り気ままで奔放で諦めが早くて、自分本位の凄く嫌な奴なんだが、それをある程度許容できて笑い話に昇華できる奴ってのが過去何人かいた。それを今風にイケメンと称している。

何をやらせても優秀で負けず嫌いで話が面白くて顔も良くて、そして極めつけがこれ、他人の我がままや失敗をある程度許容できる人。皆さんの周りにもそういう奴いたでしょ? イケメンの定義に、この優しさに似た許容性ってのは欠かせないと思ってます。

 

部活動だけに限った話ではなく、学校生活も社会生活もネットコミュニティでも同様の人はいると思う。ただ、戦友という言葉があるように苦楽を共にした仲間だけでできる凄い限定的な苦労話で盛り上がれると思い出の価値もまた違うんですよね。聞いてる周りの人が疎外感を感じるくらいの武勇譚とか失敗談ですね。

 

イケメンたちはリーダシップを持って一時代を築き、限定的な流行語を作り、僕らを引っ張った。僕らは彼らに負けじと自分の存在証明にやっきになって自分の中に隠れた何かを探して、とにかく片っ端からそれを磨いた。更に大人になって失敗したときにイケメンたちの顔を思い出しながらこう思うんですよ、「この失敗だって、あいつだったら上手く切り抜けてたんだろうな」って。「俺、何やってるんだろうな」って。それが尚のこと自分に追い討ちをかけて、落ち込む時がままあるんです。

 

そして、そういう悔しい思いすら、懐かしく輝かしく、今だからこそなのかな、むしろ貴重に思える程、時間は残酷に流れて行くんです。言い古されてるけど、本当なんです。

 

じゃあ、一時代を築いたイケメンたち、奴らは具体的に誰をイメージして落ち込んだのだろうか。ジョン・レノンか、トム・クルーズか、J・K・ローリングか? おいどんはそれが知りたい。