せでぃのブログ

ブログ初心者おいどんのどうでもいい愚痴やどうでもいい愚痴やどうでもいいマメ知識などを披露するチラシの裏です。

被災そして生存

壮絶な1週間だった。
徐々にライフラインが復旧し、開店するお店が増えてはいるものの、斉藤たかをのサバイバルか、小松左京日本沈没か、はたまた武論尊の某世紀末覇王列伝の世界にでもいるかのような非日常のただ中に放り出された気分だ。


もう当たり前過ぎて書く気力も萎えるが、宮城のましな被災地でも開いてるお店は一部のスーパーだけ。それも2時間待ちだと短い方という行列。
ガソリンがなくなり、地震当日の渋滞が嘘のように閑散とした仙台市中心部。
JRの代替輸送でキャパシティを越えた満員の仙台市バス
平日の住宅地は人通りがないはずなのに、どこにいってもそこそこ人がいる。


津波に飲まれたあたりを実際に見た。それはもうひどい有様だった。何て言うか泥と埃にまみれた戦場だったよ。
土埃を上げながら車が走る。一面の田んぼには泥水と壊れた車と家屋の屋根が浮かび、ほとんどの電柱は田んぼの中に倒れ込んでいた。道路の脇には松の木と車と家屋等の一部と思われるよくわからない残骸の山。道ばたの車は、のきなみ給油口が開けられていた。住宅は基礎部分だけを残し、キレイサッパリなくなっている。葉が落ちた枯れ木には衣服などが絡まっている。仏さんが居そうで(たぶんあの広大な田んぼを埋め尽くすヘドロの中には身体の一部なりとあるんだろう)本当に怖かった。0m地帯は当分水が引きそうにない。
あとで塩竃や名取の津波の映像を見て合点が行った。沢山のモノがあの黒く禍々しい泥濘とガレキの中にはあるのだ。
げに恐ろしい。あぁ、恐ろしい。


思い出の菖蒲田浜もコンテナが多数打ち上げられ、海の家も破壊されて、海水浴場として見る影もなくなってた。海上で座礁したコンテナはまだ燃えてたし。仙台臨海鉄道も線路はめちゃめちゃ。まず、事務所がどこにも見あたらない状態。沿岸部の復旧はいつまでかかるのか検討もつかない。あぁ、疲れたよ。