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シロクマ先生は相変わらず着眼点が面白いので、おいどんも何か書いてみたくなった。
根が飽きっぽいので、仕事も趣味もあるていど覚えて上達するとすぐ飽きちゃうんだよね。SEは最初は面白かった。求道する面白さがあった。しかし、7年も経つと苦労して覚えた知識も技術も陳腐化してしまうわ、苦労して入れたシステムも3〜5年のリプレースの時期が来れば捨てられてしまって、虚しくなったんだよ。なんというか、生産性という言葉に価値を見出さなくなった。
みんなの仕事で快適な社会が成り立っているのはわかる。わかるんだけどね。埃とゴミがたまってから掃除した方が効率よくね? パンがなければ寝ればいいんじゃね? おそらく、両親や祖父母、従兄弟たちのように、名もない一般人として人生を全うするんだから、社会への貢献、寄与、影響度なんてどうせ0なんだから楽しんだもん勝ちじゃね?
死ぬ前にやりたいことをやっておきたいという思いは共通してるんだ。それでも、少なくとも、仕事で得られる達成感においどんはほとんど価値を見出せない。おいどんが、唯一追い求めるものとは偶然であり奇跡であり驚きであり感動だ。それは創作でもいいし、実話でもいいし、実体験でもいい。とにかく面白く物語りやがれ。それを直球で求めると、ギャンブルになる。射幸心って奴。金がなければ小説や映画でも構わないし、仕事上の珍妙なトラブルでもいい。
ただ、千年に一度の奇跡を体験して、2つ気づいたことがある。日常が壊れて、それを知り合いと共有するカタストロフ映画の冒頭のような楽しさ。求めていた奇跡ってのはこれだと思ったね。もう1つは、真冬に髪を水洗いしてストーブなしの自宅に帰る不便さ。要は、野次馬根性丸出しで申し訳ないが、対岸の火事が見たいって訳よ、おいどんは。
20代の頃は、懐かしさを追い求めた。郷愁が心地よかった。しかし、今は記憶力がとんと悪くなってね。おっさんになると、記憶の中の景色や建物が、現在は影も形もなくなってしまった場所が多いんだ。
とにかく、刺激だ。安全な刺激をもっとくれ。
あれ? これってローマ市民と同じじゃね?