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せでぃのブログ

ブログ初心者おいどんのどうでもいい愚痴やどうでもいい愚痴やどうでもいいマメ知識などを披露するチラシの裏です。

利害が絡まないコミュニケーションはUDP的だ

チラシの裏

「意識しないコミュニケーションはUDP的だ」を「利害が絡まないコミュニケーションはUDP的だ」に修正
はてなブロガーってなんでアレな人が多いんだろう
耳に痛い話で、だけど言い得て妙なところもあるなーと思った記事。
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木の素材 フリーイラスト

人は見たいものを見、聞きたいものを聞いて、話したいことを話す。

JDサリンジャーの小説を読むと、大体、登場人物はひどくお喋りで、且つ、お互いに話が噛み合っていない。しかし、そこにリアリティを見出す人も多いんじゃないだろうか。おいどんはそれと気分の浮き沈みの表現に感銘を受けたけど、実は同著の2冊目あたりでウンザリしたりもするw またこれかと。


話が食い違わないようにブログやツイッターでやり取りするのも難しいし、口頭でそれをやり遂げるのはなおのこと難しいということを言いたい。だから、コメンテーターとか相槌打つだけでも結構凄いと思う。
ツイッターなんかそれが如実に現れている。相互フォローしつつ、@を嫌がる人が多いというか増えてるというか。レスの意図が読めないことがかなり多いので、おいどんも実はあんまり好きじゃない。気軽な問いかけに質問で返すのもなんか野暮ったいし。だからはてな村民に限った話ではない。


大抵の物語りはそういうところを省く。読み手としては、噛み合っていない会話をいちいち表現されても鬱陶しいだけだからね。そうすると、相手の話を受けて、意図を汲んで答えを返す行為を誰でもできることだと勘違いしてしまう。
実際は違う。泥酔した相手とのコミュニケーションはほぼ不可能だ。世代が違うとなかなか会話が続かないだろう。趣味が異なると話題に困るだろう。
ドラマとかはちゃんと脚本があるし、国会答弁だって用意した書類がある。街頭インタビューは編集している。だから誰でもほぼ無意識にスムーズなコミュニケーションをできるものではない。お笑いとかでDQNを再現するコントとかでは、会話のそういう意思疎通ができないところを表現している。


DQNに限らず3WAYハンドシェイクができていないのは、お互い様というか皆平等なんだと思う。
お互いの利害が絡まないと、人は見たいものを見、聞きたいものを聞いて、話したいことを話す。UDPで会話するんだよ。
ただ、それが悪いとは思わない。そういうもんだと思っていればいいだけかなって。ツイッターもはてぶも廃れてないし。


お互いに一方通行の会話でも、お互いに何かを得るものはあるし、感じることはあるんじゃないか。相手を思いやってないのは掲示板でもブコメでもツイッターでも、引いてはブログでも同じじゃねーの?